東大寺の大仏完成 – 今日の語呂合わせ俳句年表

752年、奈良の東大寺の大仏が完成する。

【暗記用俳句】 ♪東大寺 なご(75-)みに(2)行こう 大仏殿

752 東大寺の大仏完成

東大寺の大仏造りはいつ始まった?

743年(天平15年)に、聖武天皇(しょうむてんのう)は大仏造立の詔(だいぶつぞうりゅうのみことのり)を発した。そして、747年(天平19年)に大仏の鋳造(ちゅうぞう)が始まった。
当時、都は恭仁京(くにきょう、現・京都府木津川市)に移されていたが、天皇は恭仁京の北東に位置する紫香楽宮(しがらきのみや、現・滋賀県甲賀市信楽町)におり、大仏造立もここで始められた。聖武天皇は短期間に遷都(せんと)を繰り返したが、2年後の745年(天平17年)に都が平城京(へいじょうきょう)に戻ると、大仏造立も現在の東大寺の地で改めて行なわれることになった。

752年(天平勝宝4年)に、難工事の末、大仏の鋳造(ちゅうぞう)が終了。インド出身の僧・菩提僊那(ぼだいせんな、ボーディセーナ)を導師(どうし)として、東大寺にある大仏開眼会(だいぶつかいげんえ)が行なわれた。その後、大仏殿の建設工事が始められ、758年(天平宝字2年)に竣工(しゅんこう)した。

なお、東大寺の大仏の正式名称は、「東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)」という。

東大寺の大仏は何故建てられた?

奈良の大仏
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聖武天皇(しょうむてんのう)は、日本各国に国分寺と国分尼寺を、奈良には東大寺を建てた。さらには、大仏を造った。
その理由は2つある。ひとつは、当時、地震や日照り(ひでり)といった災害(さいがい)や天然痘(てんねんとう)が蔓延(まんねん)していたこと。もうひとつは、皇族(こうぞく)・貴族(きぞく)の争いごとが絶えなかったことだ。
平和な世にならないことに苦慮(くりょ)した聖武天皇は、 仏教の力で世の中を救おうと考えたのだ。

大仏造りに活躍した行基

大仏を造るには、たくさんの人手が必要となる。そこで、聖武天皇が目をつけたのが、僧(そう)・行基(ぎょうき)だ。行基は、仏教の教えを広めるばかりでなく、貧しい人々に食べ物を与えたり、川に橋をかけたり、日照りに備(そな)えて池を造ったりして、人々のために尽くしていた。聖武天皇は、そんな行基をいわばリーダーとしてスカウトし、行基はその想(おも)いに応(こた)えた。

つまり、聖武天皇は、民の信頼(しんらい)が厚い行基の力を利用したのだ。聖武天皇のこの思惑(おもわく)は功(こう)を奏(そう)し、大仏造りの計画は大きく進み始めることになる。

東大寺大仏殿
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なお、東大寺の正倉院(しょうそういん)には、聖武天皇の遺品(いひん)が残されている。

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