1907年、三国協商が成立する。イギリス・フランス・ロシアが三国同盟に対抗。
三国協商とは
ドイツの台頭(たいとう)に対抗(たいこう)するために形成(けいせい)された、イギリス、フランス、ロシアの三国間で結ばれた協力関係。
三国協商(さんごくきょうしょう)は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリス、フランス、ロシアの三国間で結ばれた外交・軍事的(ぐんじてき)な協力関係を指す。こ三国協商(さんごくきょうしょう)は、主にドイツの台頭(たいとう)に対抗(たいこう)するために形成(けいせい)された。
三国協商成立の経緯
1.露仏同盟(ろふつどうめい、1891年〜1894年)
フランスとロシアの間で結ばれた同盟(どうめい)で、ドイツの影響力に対抗(たいこう)するためのものだった。
2.英仏協商(えいふつきょうしょう、1904年)
イギリスとフランスが結んだ協商(きょうしょう)で、植民地問題(しょくみんちもんだい)を解決(かいけつ)し、両国間の対立を緩和(かんわ)した。
3.英露協商(えいろきょうしょう、1907年)
イギリスとロシアが締結(ていけつ)した協商(きょうしょう)で、両国の勢力範囲(せいりょくはんい)を明確(めいかく)にし、ドイツに対抗(たいこう)するための連携(れんけい)を強化した。
これらの協定(きょうてい)により、三国は相互(そうご)に支援(しえん)し合う体制(たいせい)を築いたが、特定の条約(じょうやく)というのは存在せず、あくまでも友好関係(ゆうこうかんけい)に基づくものだった。
三国協商の目的と影響
三国協商(さんごくきょうしょう)には、主に以下の目的があった。
1.ドイツ包囲
ドイツ・オーストリア・イタリア間の三国同盟(さんごくどうめい)に対抗(たいこう)するために結束(けっそく)した。
2.植民地問題の調整
各国間で植民地(しょくみんち)の勢力範囲(せいりょくはんい)を調整し、対立(たいりつ)を避けることが狙いだった。
この協商(きょうしょう)は第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)前夜において重要な役割を果たし、戦争勃発時(せんそうぼっぱつじ)には連合国側(れんごうこくがわ)として参戦(さんせん)した。
しかしながら、1917年にロシア革命が勃発(ぼっぱつ)し、新たに成立したソビエト政権が戦線(せんせん)から離脱(りだつ)。そのため、三国協商(さんごくきょうしょう)は事実上崩壊(ほうかい)した。
コメント