1297年、幕府が御家人(ごけにん)を救うために徳政令(とくせいれい)を出す。
【暗記用俳句】 ♪徳政令 皮肉な(1297)ことに 逆効果
※幕府が御家人を救うために出した永仁の徳政令(えいにんのとくせいれい)ですが、皮肉なことに御家人(ごけにん)たちを救うことができなかったばかりか、鎌倉幕府(かまくらばくふ)も次第に衰えるという逆効果になってしまったのでした。【><】
永仁の徳政令とは?
永仁の徳政令(えいにんのせいとくれい)は、1297年(永仁5年)に鎌倉幕府(かまくらばくふ)第5代執権(しっけん)・北条貞時(ほうじょうさだとき)が出した、借金を帳消しにする法令(ほうれい)。
元寇(げんこう)で戦ったにも関(かかわ)わらず、領地(りょうち)が増えるわけでもないので、御家人(ごけにん)は十分な恩賞(おんしょう)を得ることはできなかった。御家人(ごけにん)というのは、鎌倉幕府(かまくらばくふ)に従う武士のことだ。
多くの戦費負担(せんぴふたん)で生活に困った御家人(ごけにん)は、領地(りょうち)を質に入れたり、売ったりした。
幕府は、そんな御家人(ごけにん)を救うため、領地(りょうち)をただで持ち主に返させる徳政令(とくせいれい)を出した。
しかしながら、無茶苦茶な法令のため、当然経済は大混乱(だいこんらん)。
しかも、金融業者(きんゆうぎょうしゃ)が御家人(ごけにん)にお金を貸さなくなり、御家人(ごけにん)の生活はより困窮(こんきゅう)。
御家人(ごけにん)を救おうと行なった永仁の徳政令(えいにんのとくせいれい)だったが、これによって幕府は信用を失い、力が衰えるきっかけとなった。
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