1814年、ナポレオンがエルバ島に流刑(りゅうけい)になる。
【暗記用俳句】 ♪ナポレオン 一敗し(1814)て即 エルバ行き
ナポレオン流刑の背景
1814年になると、フランスを取り巻く情勢(じょうせい)はさらに悪化。フランスの北東にはオーストリア・プロイセン軍25万人、北西にはスウェーデン軍16万人、南方にはイギリス軍10万人の大軍がフランス国境を固め、大包囲網(だいほういもう)が完成しつつあった。
反面、ナポレオンはわずか7万人の手勢(てぜい)で絶望的な戦いを強いられ、3月31日にフランス帝国の首都・パリが陥落(かんらく)。ナポレオンはマルモン元帥らの裏切りによって無条件に退位(たいい)させられ、地中海コルシカ島とイタリア本土の間にあるエルバ島の小領主(しょうりょうしゅ)として追放(ついほう)された。
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