1517年、ルターが、ローマ教皇レオ10世が発売した免罪符に反対して宗教改革を唱える。
ルターの宗教改革とは?
16世紀に起こったキリスト教の改革運動(かいかくうんどう)。この運動が宗教改革(しゅうきょうかいかく)の始まりとされる。
ルターの宗教改革(しゅうきょうかいかく)は、16世紀に起こったキリスト教の改革運動(かいかくうんどう)のこと。
1517年、ルターはローマ教皇(きょうこう)レオ10世がドイツで贖宥状(しょくゆうじょう)を発売したことに対して、「九十五ヶ条の論題(95かじょうのろんだい)」を発表して批判(ひはん)した。これが、一般に宗教改革(しゅうきょうかいかく)の始まりとされる。
ルターは、「信仰によってのみ義(ぎ)とされる」と説(と)いた。そのため、その理念(りねん)はローマ教会の「信仰と善行(ぜんこう)によって救済(きゅうさい)される」という教義と鋭(するど)く対立することとなった。
そして、ルターのこの批判(ひはん)は、大きな反響を呼び、グーテンベルクの活版印刷術によって、またたくまに各地に拡大。
ローマ教皇に嫌悪(けんお)を抱いていた周辺の諸侯(しょこう)、騎士(きし)、市民、農民を巻き込み、ドイツ社会に影響を与えた。
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時の神聖ローマ皇帝カール5世は、1521年にヴォルムス帝国議会(ヴォルムスていこくぎかい)を開き、ルターに教義撤回(きょうぎてっかい)を迫った。
ヴォルムス帝国議会(ヴォルムスていこくぎかい)が開かれた年代の覚え方は、
しかし、ルターはこれを拒否。
そこで、ヴォルムス勅令(ちょくれい)を発し、ルターを異端(いたん)と断定、追放処分とした。
が、ルターはザクセン選帝侯(せんこうてい)フリードリヒに保護(ほご)され、聖書のドイツ語訳を完成。
『聖書』やルターの主著『キリスト者の自由』は、活版印刷(かっぱんいんさつ)によって、民衆の間に新しい宗教観を浸透(しんとう)させることとなった。
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