1842年、清(しん)がイギリスと南京条約(なんきんじょうやく)を結ぶ。
南京条約とは?
南京条約(なんきんじょうやく)は、アヘン戦争でイギリスに負けた中国が、1842年にイギリスと結んだ条約(じょうやく)のこと。
南京条約(なんきんじょうやく)の内容は、以下の通りである。
1.公行(こうこう)の廃止。
公行(こうこう)というのは、清の貿易業者(ぼうえきぎょうしゃ)の組合のこと。
これにより、イギリスは中国の誰とでも自由に取引が出来るようになる。
2.5港の開港。
5港というのは、広州(こうしゅう/クワンチョウ)、福州(ふくしゅう、フッチュ)、厦門(かもん、アモイ)、寧波(ねいは、ニンポー)、上海(しゃんはい)のこと。
5港の覚え方は、
この南京条約により、イギリスは綿織物(めんおりもの)がスムーズに中国へ輸出(ゆしゅつ)できるようになる。
3.香港島(ほんこんとう)の割譲(かつじょう)。
割譲(かつじょう)というのは、”もらう”ということ。
香港が割譲(かつじょう)された後も、1860年には香港島(ほんこうとう)の対岸(たいがん)の九龍半島(きゅうりゅうはんとう)の一部が割譲(かつじょう)され、1898年には、その九龍半島(きゅうりゅうはんとう)の付け根にあたる新界(しんかい)という地域が、イギリスに租借(そしゃく、=借りる)されることになる。
南京条約は、清にとって極めて不平等な条約
アヘン戦争以前は、イギリスは清(しん)からは茶を輸入するだけで、綿織物(めんおりもの)などの輸出ができず、大変な貿易赤字(ぼうえきあかじ)になっていた。
そこでイギリスは、植民地のインドを経由し、アヘン(麻薬)を清(しん)に輸出(ゆしゅつ)し始めた。
清(しん)は、アヘンの吸引(きゅういん)、輸入(ゆにゅう)も禁止するが、それでもイギリスはアヘンの密輸(みつゆ)を続け、ついには戦争となったという経緯(けいい)がある。
つまり、イギリスとしては、この南京条約(なんきんじょうやく)においては、とにかく、自国に有利な条件で、清(しん)と貿易ができるようにしたかった。
そのため、南京条約(なんきんじょうやく)では、清(しん)にとっては極めて不平等、イギリスにとっては非常に有利な内容となっている。
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