1951年、日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)を結ぶ。この条約によりアメリカ軍が今でも日本に駐留(ちゅうりゅう)。
日米安全保障条約とは?
1951年に日米間で結ばれた条約。戦後も米軍が日本に駐留(ちゅうりゅう)することが定められている。
日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)は、1951(昭和26年)年9月、対日講和条約(たいにちこうわじょうやく)と同時に日米間で結ばれた条約(じょうやく)で、講和(こうわ)による占領軍(せんりょうぐん)撤退後の日本の安全を保障するため、米軍の日本駐留(にほんちゅうりゅう)を定めたもの。
60年の改定交渉(かいていこうしょう)によって、新安保条約(しんあんぽじょうやく、正式名称:日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力(そうごきょうりょく)および安全保障条約(あんぜんほしょうじょうやく))が締結(ていけつ)され、新たに日米両国(にちべいりょうこく)の共同防衛(きょうどうぼうえい)義務・米軍の軍事行動(ぐんじこうどう)に関する事前協議制度(じぜんきょうぎせいど)などが定められた。
日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)を結んだ双方(そうほう)の理由としては、アメリカ側としては共産主義圏(きょうさんしゅぎけん)の拡大を抑えるための防波堤(ぼうはてい)、または前線基地(ぜんせんきち)としての狙い。日本側としてはアメリカ軍に国防(こくぼう)を担ってもらうことによって、日本の復興(ふっこう)と経済発展(けいざいはってん)に国力を充(あ)てられるという狙いがあった。
当時の首相・吉田茂(よしだしげる)は、これを国家戦略(こっかせんりゃく)として考えた。そして日本はその後、高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)を遂(と)げる。この考え方を吉田ドクトリンという。
コメント
「英語はダジャレで覚えよう!」、閉館との由、拝読いたしました。
お疲れ様でございました。
この年表暗記は頻繁に更新なさっているので安心しました。完全な“お別れ”ではないようなので。
またお伺いいたします。
楽天知命 富士山さん、こんばんは。(^^)
こちらの方にまた来てくださり、うれしいです。(^-’)
楽天閉館のお知らせ、読んでいただけましたか?
突然驚かせてしまい、申しわけありませんでした。
ありがとうございます。(^^)
こちらこそ、楽天の方では大変お世話になり、ありがとうございました。
改めてお礼申し上げます。m(__)m
こちらのブログは、現在高校受験用の年表を、毎日少しずつアップしてます。(=。=;コノトコロ、チョットキツイデス。
私は、単に楽天から撤退しただけで、ブログの世界からいなくなるわけではないので、どうぞご安心ください。
近いうちに、楽天知命 富士山さんの所にも、またお邪魔させていただきます。(^o^)