浅間山荘事件 – 今日の語呂合わせ俳句年表

1972年、浅間山荘事件が起こる。

【暗記用俳句】 ♪山荘へ 引くな突っ(1972)込め 機動隊

1972 浅間山荘事件

浅間山荘事件とは?

浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)は、1972年に連合赤軍(れんごうせきぐん)のメンバー5人が、長野県の浅間山荘(あさまさんそう)に人質(ひとじち)をとって立てこもった事件(じけん)。

浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)は、1972年2月19日から2月28日にかけて起こった連合赤軍(れんごうせきぐん)のメンバー5人が、長野県北佐久郡軽井沢町(ながのけんきたさくぐんかるいざわまち)の浅間山荘(あさまさんそう)に人質(ひとじち)をとって立てこもった事件(じけん)。

浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)において、犯人(はんにん)との交渉(こうしょう)や攻防(こうぼう)は10日間に及んだ。
日本で起こった人質立てこもり事件としては、2017年9月現在最長時間(さいちょうじかん)となっている。
最終的に、犯人グループは逮捕(たいほ)され、人質(ひとじち)は無事に解放(かいほう)された。

浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)は、日本国内で大きな注目を集め、テレビ中継されるなど社会的影響も大きかった。特に、連合赤軍内部(れんごうせきぐんないぶ)での粛清(しゅくせい)や暴力行為が明らかになったことから、新左翼運動(しんさよくいうんどう)全体への支持が失われる結果となった。

浅間山荘事件のメンバーは?

1.坂口弘(25歳): 連合赤軍のリーダー格であり、事件の中心人物。
2.坂東国男(25歳): 坂口と共に行動し、重要な役割を果たした。
3,吉野雅邦(23歳): 事件に参加したメンバーの一人。
4.加藤倫教(19歳): 坂口と坂東と共に行動し、重要な役割を担った。
5.加藤元久(16歳): 加藤倫教の弟で、最年少のメンバー。

浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)に関与した連合赤軍のメンバーは、坂口弘(さかぐちひろし)、坂東国男(ばんどうくにお)、吉野雅邦(よしのまさくに)、加藤倫教(かとうみちのり)、加藤元久(かとうもとひさ)の5人だ。
彼らは、警察との激しい銃撃戦(じゅうげきせん)の末、全員逮捕(ぜいいんたいほ)された。

この事件は、警察官(けいさつかん)2名と民間人(みんかんじん)1名の犠牲者(ぎせいしゃ)を出し、日本社会に大きな衝撃(しょうげき)を与えた。

浅間山荘事件とカップラーメンの意外なつながりとは?

浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)のテレビ中継(ちゅうけい)時、機動隊員(きどうたいいん)がカップラーメンを食べる姿も映し出された。これが視聴者の興味をかき立て、カップラーメンの普及(ふきゅう)につながった。

カップラーメンは、1971年9月18日に日清食品(にっしんしょくひん)によって発売(はつばい)された。
カップラーメンの発明者(はつめいしゃ)は安藤百福(あんどうももふく)氏で、彼はインスタントラーメンの先駆け(さきがけ)である「チキンラーメン」を1958年に発明(はつめい)した後、さらなる発展(はってん)を目指し、カップヌードルの開発(かいはつ)に取り組んだ。

安藤(あんどう)氏は、欧米視察中(おうべいしさつちゅう)に現地(げんち)の人々がラーメンをカップに入れて食べる様子(ようす)を見て、カップヌードルのアイデアを得た。
カップヌードルは、手軽さと保存性を兼ね備えた食品として、多くの人々に受け入れられ、瞬く間に人気商品(にんきしょうひん)となった。

浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)の発生時、機動隊員(きどうたいいん)が食べていたのがカップラーメンだった。
そして、この姿が事件の報道(ほうどう)とともに連日(れんじつ)テレビ中継(ちゅうけい)されたことで、視聴者の注意を喚起(かんき)。機動隊員(きどうたいいん)がカップラーメンをおいしそうに食べている姿を見て、カップラーメンの購買意欲(こうばいいよく)をかき立てられた。

これが、カップラーメン普及(ふきゅう)の理由のひとつになったといわれる。

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