1651年、浪人由井正雪らが江戸で反乱を起こす。
【暗記用俳句】 ♪由井正雪 密告の色濃い(1651) 乱の失敗
由井正雪の乱とは?
江戸幕府の将軍・家康・秀忠・家光の政治は「武断政治(ぶだんせうじ)」といわれており、幕府を開いて間もない頃は、武力によって世の中を治めていた。
たとえば、「城の建築・大名同士の結婚の許可制」や「参勤交代(さんきんこうたい)の制度化」など、さまざまな規則が大名を厳しく縛りつけた。
そして、これらに逆らえば、領地の剥奪(はくだつ)や削減(さくげん)・移動といった厳罰(げんばつ)が下された。
特に、3代将軍・家光は激しく減封(げんぷう)・改易(かいえき)を行なった。
そのため、多くの武士が職場を失い、浪人(ろうにん)があふれた。
このような状況の中、由井正雪(ゆいしょうせつ)は家光の死の直後、幕府政策への批判と浪人の救済を掲げて浪人(ろうにん)を集め、幕府の転覆(てんぷく)を計画した。
しかしながら、この乱は結果的には仲間の裏切りによって幕府方に事前に発覚(はっかく)、由井正雪は自刃(じにん)した。
由井正雪の乱の影響は?
由井正雪の乱は失敗に終わったが、江戸幕府3代将軍までの武断政治(ぶだんせいじ)から文治政治(ぶんちせいじ)への方向転換のきっかけになったといわれる。
この乱の後、家綱は文治政治(ぶんちせいじ)を進めていく。
コメント