藤原純友の乱 – 今日の語呂合わせ俳句年表

939年、藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱が起こる。瀬戸内の乱。

【暗記用俳句】 ♪純友の 屁がくさく(939)て 乱起こる

939 藤原純友の乱

藤原純友の乱とは?

藤原純友の乱は、藤原純友(ふじわらのすみとも)が、瀬戸内海(せとないかい)で海賊(かいぞく)を率(ひき)いて暴れまわり、源経基(みなもとのつねもと)らに鎮圧(ちんあつ)された事件。

当時、平将門(たいらのまさかど)が力をふるっていたが、その頃瀬戸内海(せとないかい)では、多くの海賊(かいぞく)たちが活動していた。
海賊たちは、窃盗(せっとう)や殺人などの悪事を働き、世の中に混乱(こんらん)を引き起こしていた。

そこで、海賊(かいぞく)たちを討伐(とうばつ)するために伊予国(いよのくに)に派遣(はけん)されたのが、藤原純友(ふじわらのすみとも)である。
純友は、長い時間をかけて、海賊(かいぞく)たちを平定(へいてい)する。

藤原純友
藤原純友
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

しかしながら、ある日突然、藤原純友(ふじわらのすみとも)は、海賊(かいぞく)たちの棟梁(とうりょう)になってしまう(その理由は、良く分かっていない)。

そして、939年、藤原純友(ふじわらのすみとも)の配下(はいか)である藤原文元(ふじわらふみもと)が、備前(びぜん)の国の国司(こくし)・藤原子高(ふじわらのこだか)を襲撃(しゅうげき)。

この事件がきっかけで、藤原純友(ふじわらのすみとも)は国司(こくし)の敵となり、源経基(みなもとのつねもと)らの軍が藤原純友(ふじわらのすみとも)の討伐(とうばつ)へ向かうことになる。

このときに討伐軍(とうばつぐん)として送られたのが、追捕使(ついぶし)長官・小野好古、次官・源経基(みなもとのつねもと)、主典・藤原慶幸、大蔵春実である。

これが博多湾の戦いで、やがてこの戦いで藤原純友(ふじわらのすみとも)の船団(せんだん)は壊滅(かいめつ)し、純友の死とともに、この乱は終結(しゅうけつ)する。

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