1590年、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻め落として全国を統一する。
【暗記用俳句】 ♪秀吉が 一国丸(1590)ごと 統一す
全国統一を成し遂げた豊臣秀吉
豊臣秀吉(とよとみひでよし)は、それまで強大な権力で大名を従わせ、検地(けんち)と刀狩(かたながり)で農民を支配することで、全国統一を進めていたが、1590年に関東で力を持ち抵抗(ていこう)していた北条氏を「小田原の役」(おだわらのえき:別称「小田原征伐」)で滅(ほろ)ぼし、ついに全国統一を成し遂げた。
豊臣秀吉は、全国統一後どうした?
豊臣秀吉(とよとみひでよし)は、全国統一後、明の征服(せいふく)を中核とした東アジアの統一を計画し、文禄元年(1592年)から朝鮮出兵(しょうせんしゅっぺい)を行なった。
これに島津家も参戦(さんせん)し、北郷家(ほんごうけ)は当主忠虎(ただとら)を将として軍勢を派遣(はけん)した。
しかしながら、慶長3年(1598年)8月18日に豊臣秀吉(とよとみひでよし)が死去したことで、この計画は途中終了した。
豊臣秀吉の死因は?
豊臣秀吉の死因は、病死(びょうし)とされる。
病名は、赤痢(せきり)、尿毒症(にょうどくしょう)、脚気(かっけ)などさまざまな説があるが、詳しいことは良く分かっていない。
そして、貧しい境遇(きょうぐう)から、一代で天下人へとのし上がった波瀾万丈(はらんばんじょう)な生涯を送った秀吉が、その生涯を閉じたのは、享年(きょうねん)62歳のことであった。
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