院政のはじめ – 今日の語呂合わせ俳句年表

1086年、白河上皇(しらかわじょうこう)が院政をはじめる。実権が院に移る。

【暗記用俳句】 ♪白河が 院政はじめる 今やろう(1086)!

1086 院政のはじめ

院政とは?

皇位(こうい)を継承(けいしょう)したのちも前の天皇が政治の実権(じっけん)を握り、天皇に変わって政治を行なうこと。

1086年、白河天皇(しらかわてんのう)は天皇の位を幼い堀河天皇(ほりかわてんのう)に譲(ゆず)り、自分は 上皇 (じょうこう)となった。上皇(じょうこう)とは、天皇の位を退(しりぞ)いた前の天皇のことだ。

それまでは、上皇(じょうこう)は政治から離れ、次の天皇(または、それを補佐する人)が政治を行なうのが普通であったが、白河天皇(しらかわてんのう)は上皇(じょうこう)になってからも政治を行なった。これを院政(いんせい)という。

白河天皇(しらかわてんのう)は、政治の表舞台(おもてぶたい)には立たず、裏から天皇家(てんのうけ)や政治全体を管理したのだ。

院政(いんせい)はまた、時の天皇が次代や次々代の天皇を指名することで、血が途切れたり、皇位継承(こういけいしょう)のために争いになったりする可能性を減らしたり、皇位継承(こういけいしょう)に関して自分の意思を反映したりすることができるメリットがあったと考えられている。

院政を最初に行なったのは誰?

白河天皇(しらかわてんのう)。

院政を最初に行なったのは、白河天皇(しらかわてんのう)といわれている。白河天皇は若くして地位を引退して上皇(じょうこう)となり、まだ幼かった自分の子ども(堀河天皇)や孫(鳥羽天皇)の後見人(こうけんにん)として政治を行なったのだ。

院政という言葉の由来は?

院(=上皇)が政治を行なうことから。

天皇の位を退いた前の天皇のことを上皇(じょうこう)と呼ぶが、当時、上皇(じょうこう)は「院(いん)」と呼ばれていた。
そのため、上皇(じょうこう)がこうして政治を行なうことを院政(いんせい)と呼んだ。

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