1873年、地租改正(ちそかいせい)条例を発布(はっぷ)する。土地の所有者に地券(ちけん)を渡し、地価(ちか)の3%を現金で納めさせる。
地租改正とその目的は?
地租改正(ちそかいせい)は、明治初期に行なわれた土地課税方法(とちかぜいほうほう)の改革(かいかく)。
明治になっても、政府財源(せいふざいげん)の多くは、農民が収(おさ)める米に頼っていた。ところが、この租税(そぜいは)地方によって税率(ぜいりつ)がまちまちで、そのうえ収めるものは米だったため、年によって収穫(しゅうかく)に多少の差がある。そのため、政府(せいふ)の収入は不安定だった。
そこで政府は、財政(ざいせい)を安定させるため、土地の所有者に地券(ちけん、所有者の名前・面積・地価(ちか)・地租額(ちそがく)を記入した証書)を交付(こうふ)し、土地の所有権(しょゆうけん)を認め、1873年(明治6年)から地租改正(ちそかいせい)を行なった。
地租改正測量図
出典:http://nihontoukikikou.la.coocan.jp/tokihokigen/tokihokigen15.html
地租改正の内容は?
地租改正(ちそかいせい)の内容は、
1.米を現金に変えて収めさせる
2.課税(かぜい)の基準を、収穫高(しゅうかくだか)から地価(ちか、土地のねだん)に改める
3.税率を地価の3%とし、土地の所有者に税を収めさせる
というものだった。
地租改正の結果は?
地租改正(ちそかいせい)を行なったことにより、政府の財源は安定した。しかしながら、それまでよりも収入が減らないように地価を高めに定めたので、税率(ぜいりつ)は軽くならず、農民の負担(ふたん)は重かった。米を商人に買い叩かれ、村人が共同で利用していた入会地(いりあいち)は官有地(かんゆうち)にされ、生活に苦しむ農民の不満が高まった。
地租改正(ちそかいせい)に反対の様子
出典:http://blog.livedoor.jp/hirohiko24-bokepuri/
その結果、各地で地租改正(ちそかいせい)に反対する一揆(いっき)が起こった。これを「地租改正反対一揆(ちそかいせいはんたいいっき)」という。
地租改正反対一揆(ちそかいせいはんたいいっき)は農民一揆(のうみんいっき)、特に1876年に起こった茨城県真壁(いばらきけんまかべ)・那珂両郡(なかりょうぐん)での茨城大一揆(いばらきだいいっき、真壁暴動)と、三重(みえ)・愛知(あいち)・堺(さかい)・岐阜(ぎふ)の4県にまたがる三重の大一揆(みえのだいいっき、伊勢暴動)が代表的だ。
これら一揆勢力(いっきせいりょく)と、折からの士族反乱(しぞくはんらん)が結びつくことを恐れた政府は、1877年に地租(ちそ)を地価(ちか)の3%から2.5%に引き下げた。
「地租改正反対一揆」が起こった5県の覚え方
さて、ここではこの「地租改正反対一揆(ちそかいせいはんたいいっき)」が起こった5県の覚え方をご紹介。
「地租改正反対一揆(ちそかいせいはんたいいっき)」が起こった5県
1.三重(みえ)
2.愛知(あいち)
3.茨城(いばらき)
4.堺(さかい)
5.岐阜(ぎふ)
地租改正反対一揆(ちそかいせいはんたいいっき)が起こった、これら5県の頭文字をつなぐと、「見合い(は)詐欺(三・愛・茨・堺・岐)」となる。これらをつなげると、
「見合いは詐欺(さぎ)だ 一揆(いっき)を起こせ!」
というフレーズができあがる。そうしたら、これを冒頭でご紹介した地租改正(ちそかいせい)の暗記用俳句に続けて読むと、以下のような暗記用短歌となる。
この短歌で、地租改正(ちそかいせい)の年号と、地租改正反対一揆(ちそかいせいはんたいいっき)が起こった5県の2つを同時に覚えてしまおう!(^^)
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