1274年、文永の役。第1回目の元寇(げんこう)。
【暗記用俳句】 ♪元寇を 意地(12-)で肘鉄 なし(74)くずす
元寇とは?
元軍の日本への侵攻(しんこう)。
鎌倉幕府中期から後期に、当時ユーラシア大陸を支配していた元(げん)が、2度にわたって日本侵略(にほんしんりゃく)を行なった。これを元寇(げんこう)、別名を蒙古襲来(もうこしゅうらい)という。
この戦によって、鎌倉幕府は滅亡へと向かっていくことになるが、1度目の侵略を文永の役(ぶんえいのえき)、2度目の侵略を弘安の役(こうあんのえき)という。
文永の役とは?
元軍の日本への第1回目の侵攻(しんこう)。
1274年1月、時の皇帝フビライは、日本征服のため、従属(じゅうぞく)させた高麗(こうらい)に対して日本征伐(にほんせいばつ)を目的とした船の建造(けんぞう)を命じる。そして、3万5千人の人員と莫大(ばくだい)な木材を使い、わずか10ヶ月で大型の船200隻、中型の船が350隻、さらにその他の船もろもろ合わせると合計900隻の大艦隊(だいかんたい)を編成(へんせい)し、高麗(こうらい)を出発する。
しかしながら、鎌倉武士は元軍(げんぐん)の予想を上回るほどの戦闘能力(せんとうのうりょく)をもっており、死にものぐるいで戦い続ける。そしてそこへ突然吹き荒れた暴風雨(神風)も、鎌倉武士に味方。
元軍は大将格の武将(ぶしょう)が負傷(ふしょう)すると撤退(てったい)を考え始め、撤退(てったい)を開始。かくして、何とか第1回目の文永の役(ぶんえいのえき)は終わりを迎える。
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