源頼朝、鎌倉幕府を開く – 今日の語呂合わせ俳句年表

1192年、源頼朝(みなもとのよりとも)が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)になり、鎌倉幕府(かまくらばくふ)を開く。武家政治(ぶけせいじ)の始まり。

【暗記用俳句】 ♪頼朝よりともが いい国(1192)つくる 誠意もち

1192 源頼朝、鎌倉幕府を開く

鎌倉幕府とは?

鎌倉幕府(かまくらばくふ)は、1192年に源頼朝(みなもとのよりとも)が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となり、開いた幕府(ばくふ)。

鎌倉幕府(かまくらばくふ)は、のちに征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となる源頼朝(みなもとのよりとも)が創始し、北条時政(ほうじょうときまさ)・北条義時(ほうじょうよしとき)らを中心とした坂東武士(ばんどうぶし)が鎌倉に設立した幕府(ばくふ)である。
頼朝(よりとも)の死後、御家人(ごけにん)の権力闘争(けんりょくとうそう)によって頼朝(よりとも)の嫡流(ちゃくりゅう)は断絶。その後は義時(よしとき)の嫡流(ちゃくりゅう)である得宗(とくそう)が同幕府(どうばくふ)の支配者となった。武家政権(ぶけせいけん)は室町時代(むろまちじだい)・江戸幕府(えどばくふ)へと継承(けいしょう)された。

ちなみに、当時は武家政権(ぶけせいけん)を「幕府(ばくふ)」と呼んでいたわけではなく、朝廷(ちょうてい)・公家(くげ)は「関東」と呼び、武士からは鎌倉殿(かまくらどの)、一般からは「武家(ぶけ)」と称されていた。
「吾妻鏡(あづまかがみ)」に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)館を「幕府(ばくふ)」と称している例が見られるように、もともと幕府(ばくふ)というのは「将軍の陣所(しょうぐんのじんしょ)、居館(きょかん)」を指す言葉である。
武家政権(ぶけせいけん)を幕府(ばくふ)と称したのは、江戸時代後半、幕末(ばくまつ)になってからのことで、鎌倉幕府(かまくらばくふ)という言葉が登場するのは、1887年(明治20年)以降とされる。

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